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はじまりの旅〜第1回前の伊勢への旅〜昭和45年(1970)
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ユースホステル新聞記事
阪市内の玉造から伊勢神宮へ。昔のおもかけを残す旧街道をただひたすらに歩いた。160km5日間の苦しい旅であった。
しかし、何かをやりとげた青春の感動の旅であった。
杉田 裕良記

 一年ばかり、暖めていた計画をやっと実行に移す日がきた。

◎旧街道を忠実に歩く

【12月28日】年末の大掃除でいそがしそうな、機械工具問屋の建ち並ぷ玉造を出発。自動車のはげしく行き交う府道を歩いたり、またそれたりしながら、なるべく旧街道(暗越奈良街道)を忠実に枚岡についた。
 ひと休みの後、いよいよ暗峠に向う。ひとしきり急坂を登れば、あとはゆるく、点在する家々をすぎれば往古の石畳の残る峠の集落である。
小さなお堂の石仏や碑(いしぷみ)に、昔日の面影かひっそりと、息づいていて、時の停滞を感じさせるたたずまいだ。自動車道をくぐり、路傍の石仏に見守られながら、藤尾、萩原をすぎ、南生駒の駅前で遅い昼食にし、奈良に向けて発つ。静かな矢田丘陵を、吹き抜ける風とともに越え、本陣跡の前を通り砂茶屋の集落も過ぎた。尼ヶ辻の古い家並みも、いつしか広い自動車道となり、車の流れとともに国鉄奈良駅に着いた時、日はだいぶ西に傾むいていた。
 小休止の後、猿沢の池のふちを南へ。上街道を軒の低い連りの中を横井まで歩いた時、日はすっかり暮れたので、今日の宿舎の奈良YHへ行くべくバスを持った。

【12月29日】横井まではバスで。帯解、櫟本等、時間が素通りしたかのような古い昔なからの家並みの集落をぬい、また農道をと一路、南へ南へと足を運ぶ。国鉄桜井線をときどき走る蒸気機関車に目を楽しませ、群を抜いて大きな家のその昔の有様を想像したりしながら、天理もすぎて三輪山のふもとまで南下した。“左いせ道”を碑に教えられて東を向く。国道165号線に忘れられたかのように点在する集落をいくつか抜け、国道に西峠を越えて坂を下れば榛原の町だ。
 その昔、礼の辻と呼ぱれた所には、今も常夜燈が、また旅籠屋の名残りがあり、肉太の立派な碑が、あお越と伊勢本街道とを教えている。
 町を抜け橋を渡り、内牧川ぞいに進むと高井という所に出る。室生寺への道を左へ分け戦前まで料理旅館をしていたという家も残っていた。
パスで榛原へ戻り、宿屋へ。

◎宿場のふん囲気の残る街◎

【12月30日】高井までバスに乗り、峠を二つ越えて山粕へ。二つ目の峠からは特異な山容で知られるクロソ山がその姿を見せる。
 管野は、宿場のふん囲気が残っているいい町だ。町はずれの分岐からは近道をとる。峠越えだかたいした苦労もなく神末へ。碑や常夜燈に、また古びた旅籠が一軒あったりして、自動車が、そして自分の存在がふと、奇異に感じられる一時だった。また分かれ道を旧道にとり、敷津の古い家々の前を通り、杉林の中、山道を下り、杉平へ着いた。ここは奈良と三重の県境いで、大きな石の標柱が建っている。
 三重県に入ってすぐの宿場は石名原で、家並が続く。林業関係の工場がちらほら目についた。
 奥津の宿は、今は名松線の終点の駅がある町で、赤字のため、路線廃止路締廃止がいわれているが、それに反対するビラかあちこちに見うけられる。長くつづく街道筋のはずれ近く、古びた旅籠屋という感じかピツタリの宿屋に泊まる。部屋の火鉢には、旅順記念と彫った小銃の薬きょうで作った火ぱしがあった。

◎見えてきた伊勢造りの家◎

【12月31日】一面、霜の降りた、ひっそりと静まりかえった宿のはずれを右に折れ、橋を渡って山道にかかる。杣道に迷い込んで苦労したが、やっと峠を越えて多気の宿へ。 橋の畔に大きな自然石の碑があり、宿屋もあったりして昔の面影が良く残っているのに道路の舗装が残念だった。 しぱらく行くと峠の集落に着く。一見普通の家にしか見えないが、昔は旅籠としてさかんだったと聞く。
 峠から近道(旧道)をして上仁柿へ。ポチボチ伊勢造りの家々が見うけられるようになってきた。どの家も杉皮の出荷博準備こ、急がしそうにたち働いていた。下仁柿もすぎ横野着。しばらく国道166号線を歩く。深野の町は郡道が一部国道の左上に残っていた。川ぞいに大石の宿へ。
 数年前までは電車の終点があったと聞くが、それらしい広場にはバスか停っていた。茅原をすぎ、そして国道と別れて津留、四疋田と舗装されてはいるが車の少ない道を相可の宿へ.碑や老舗のたたずまい、家々の有様が昔をしのばせるに充分な町だ。
 道をとり違え適えて国鉄多気駅へ出た。夕食をすませて外へ出ると、昭和44年の日は、もうすっかり暮れていた。
 土羽茶屋まで行ったが、また道を間違えて土羽へ出てしまって、後は参宮線添いに時折通る自動車の光以外には、足許も見えないような県道を田丸へ。こんもりとした城跡を右に見て町中へ入る。ここも古い家並が良く残っている。ほとんどまっすぐな道路を、伊勢造りばかりの集落をいくつか抜けて、宮川を渡る。参詣人だろう。乗用車が多く神宮方面へ走る。広い道路の歩道を歩いて伊勢市駅前に着いた。時間調整を兼ねてひと休み。いよいよマメだらけの足を引きづって、最後の行程にかかる。
 参詣人とバスでにぎやかな外宮の前を通って、ひっそりと静まりかえった、伊勢造りのずらり並んだ古市の町並を抜け、猿田彦神社の前を通っている時、伊勢のホステラーの一団に出会った。これは毎年やっている外宮から内宮を参拝し、朝熊山へ初日山を見に行くグループだった。内宮前はパスと参詣人とでごった返えしていた。霜が降りてツルツル滑べる宇治橋を渡ったのが、昭和45年1月1日、午前零時1分であった。境内のあちこちには焚火かあって、人々が暖をとっていた。人波にもまれて内宮を参拝し、パスで外宮まで引き返えしてお参りし、4日にわたる、160km余の長途の初詣でを終えた時、何かをやりとげた時の充実感と、眠気と疲れが急に体中に満ちてきた。


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