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第10 昭和57年(1982) 伊勢迄歩講(いせまであるこう)
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概 要
参加者数 67名 完歩者数 67名
170kmコース 33名 最 年 少 16歳
100kmコース 34名 最 年 長 71歳
係  員 石原、善家、野村、橋本  4名

ユースホステルしんぶん記事

    第10回 伊勢迄歩講  72人が元気よく歩く!・参加者の声
 伊勢にたどり着くまでの道のりを参加者の手記より抜粋して綴ってみた。
 なお1月10日まてに配付された方の手記である。
          元気づけに御神酒
【12月28日 晴】
 玉造稲荷神社で安全祈願のおはらいをうけ、御神酒をいただいたあと、午前8時15分、出発合図のたいこが鳴り響く中、テレビ・新聞の取材を受けながら出発しました。
 菅笠を作っていただいた深江稲荷神社で小抑止の後、自動車の行交う府道にそって東へ進み、枚岡(ひらおか)公園で昼食となる。
 初日の難所の暗峠(くらがりとうげ)、ふりかえれば大阪の街がきれいに見えた。昔をしのぶ石畳の道に出て、苦しかった登りも終わり奈良県にはいる。
 そして、榁木(むろのき)峠、垂仁天皇陵、国鉄奈良駅を通って、宿舎の奈良ユース・ホステルには、午後5時半に到着しました。
 こんなにたくさん歩いたのは、高校の時の金剛山以来のようだ。足の中の血がぐるぐるおもくまわっているかんじ・・・・・あと3日も歩けるだろうか、(黒松利有子)
 今月1日を振り返って、まわりの方々にいろいろとお話しをしているうちに、あまり苦も感じずに着いてしまったというのが実感です。 (五月女 恵美)
          足をひきずる人も
【12月29日 晴】
 午前8時5分、ペアレントに見送られながら出発。猿沢池では水が少なかったので、池の中にはいって記念写真をとったのち、奈良上(かみ)街道を南下する。
 帯解(おびとけ)駅、天理駅と通り、大和神社で昼食とする。出発前に、御神酒をいただき、元気よく歩きだす。
 三輪駅・金屋とすぎ、初瀬の化粧坂で休んでいると、土地の老人より、御歯黒岩の話を聞く。
 西峠、ここでは例年のように、足をひきずり始める人が数人でたが、全体の歩行速度は落ちることなく、榛原(はいばら)に午後5時には到着。
 狭い街道の両側は、戦火をまぬがれた古い家のたたずまいの連続で、古都の匂いを感じる。足早が列を細かに分断して行く、全員健脚なので誰も気遣いはしない。 (寺田鶴四郎)
 三輪山も山の辺の道も実際足を踏み入れてはいないが、とっても感動的でした。化粧坂では、ファイト・コールありがとう。おかげて歩けました。ひとりで鼻歌をうたって、なんか気分が明るくなって、なんとか今日も楽しく歩けました。(五月女 恵美)
 昼食のお弁当おいしかったな。干した三輪ソーメン初めて見て感激。化粧坂は元気な仲間が掛け声で、あっという間に上に登れた。長谷寺を山の上から見る。ああ疲れました。良く歩きましたと思わず声が出る。宿に着いて夕食の後町の銭湯で思いきり手足を伸ばし疲れをとる。(黒河内 照子)
          雨にも負けずに
 【12月30日 晴のち雨】
 今日から100キロコースの36人も合流する。出発は7時半。大宇陀の旅館に泊っていた100キロコースの人は、8時出発。
 高井、諸木野、石割峠と、同一線上を二隊が伊勢に向かって進む。
 昼食は上田口の専明寺本堂でとる。昼食がちょうど終った頃に、100キロコースの人か到着し、交替して外へ出る。天気が悪くなってきたが、若い人達はゲームを始めて寒さに挑んでいた。
 アラレがふりはじめた中を、合流して出発する。黒岩、山粕、鞍取峠とすぎて、管野にはいった時雨が本格的にふりだした。
 桜峠、午峠を越えて、暗くなったころ神末の民宿に到着。人数が多いので、5軒に分宿になった。各民宿では、明日のために早く寝るところ、カラオケを楽しむところ、地酒で到着の前祝をするところ等さまざまでした。
 とうとう雨になってしまいました。夕方だったので、カッパを着ても、むれなかったことが幸いでした。話が前後しますか、昨日にひき続き午前中はとてもすてきな宿場町の家なみがとてもきれいでした。午後はずっと山村というふんいきがとてもよい風景でした。道々、歌を歌いながらとってもたのしくこれたのがすごく良かった。   (五月女 恵美)
 もしもこの行事に参加していなかったら掃除、おせち料理等々忙しくしていただろう。  (黒河内 照子)
          年越そばでスパート
【12月31日 くもり】
 7時半、全員そろって神末を出発する。足をいためている人もいるので、ゆっくりしたペースで歩いてゆく。敷津、三多気、名石原と行き伊勢奥津で休憩後、最後の難所飼坂峠に向かう。峠は一部、昨年の集中豪雨で道が悪かったが全員通ることができた。
 町屋の公民館で昼食をとる。昼食後、結城屋のご主人より、北畠氏の話等を聞いたのち出発する。
 峠、坂ノ下、横野とすぎ、大石からは夜間歩行にはいり、夕食の相可をめざしてペースがあがる。
 相可の大盛屋には、先頭が午後7時到着。例年のごとく、年越そばとちらし寿司で腹ごしらえをして、ラストの到着をテレビを見ながら待つ。8時過ぎ、ラストが到着して全員がそろう。
 午後9時過ぎ、次々と伊勢をめざして出発する。東池上、茶屋、田丸と進んでいく。
 必死でおいて行かれわようかけ足となる。相可の大盛屋さんでチラシ、オソバは本当においしい。年一回しかうたないオソバだそうで、ご主人どうも有難う。  (黒河内 照子)

          「年の始」をみんなで 完歩した感動いま心に
【1月1日 はれ】
 例年なら、先頭集団、宇治橋到着なんですが、今年は田丸にて元旦を迎えました。午前0時になると歩くのをやめて、互いに「おめでとう」といいあい、円陣に腕を組んで「年の始め」をみんなで歌いました。
 度会橋、外宮と進むにつれ、初詣の人がふえてくる。<伊勢迄歩講>ののぼりを先頭に、初詣の人の視線をあびなから、内宮めざしてがんばりました。
 猿田彦神社で最後の休憩をとり隊列を整えて、内宮前商店街の人ごみをかきわけて、午前3時に先頭集団は宇治橋に到着、続いて第二集団も午前3時半到着。
 岩戸屋で夜食を食べて、完歩証をもらい、疲れた体を少し休めたのち各自、帰っていきました。
 そして、途中から速度がでなくなった最後尾が、午前6時半に到着してこの行事は無事終りました。
 よく歩けたものだ。伊勢まで、本街道170km。よく歩けたものだ。実に苦しい旅だった。実に味のあるよい旅だった。(宇野広次)
 たとえ道を知っていても一人ではとても完歩できなかっただろう。多くの仲間と一緒だったので何とか完歩でき感謝しております。歩くのが好きで達者な人が大勢いるのを知り、これからももっと歩き続けていこうと思いました。(久高 健)
 「人生はマラソンなり」という言葉か好きだがマラソンにしろ、170`を歩くにしろ一人で歩いたり走っているようでも、まわりの人々に支えられているのを今回改めて感じた。(島田 隆夫)
 たしかに170kmは長い。その間にも楽な時、また足が痛い時やいろいろあるのだ。それらを克服してこそ、また次の機会があれば歩きたくなる。もう歩きたくなくなってもその時期が来ればなぜかワクワクしてくる。(宮路正夫)
 本当に自分の足で歩いたんですね。満足! (尼崎北の消印で名は不明)
 何度も何度も、もう帰ることにしたつもりだったのに、みんなのことばに自分をだまされたような感じで到着しました。カバンを持ってもらったり、おやつをいただいたり、はげましてくださったり歩き方を教ていただいたり、峠で細い所を通る時、道を作って誘導してくださったり・・・みなさまのおかげです。(黒松 利有子)
 完歩の感激があるはずなのにN君の胴上げも、ボンヤリ見ていただけ。(黒河内 昭子)
 多くの人が一緒に歩いたからできた事だったのです。  (佐々木 邦彦)
 いい思い出ができました。あのスゲ笠を眺めては、昔を回想し、またのお目にかかる意欲の糧としたいと思います。有難とう皆さん。   (寺田 鶴四郎)
 【昭和58年2月11日号ユースホステル新聞掲載】

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